峠の黄鉄鉱

 あれは私が小学2年のことでした。友達が秦野の千村というところへ引っ越していったという出来事がありました。その年の冬、そこへ遊びに行く機会がありました。夜に友人宅へ到着し一泊。次の日、オーテッコーを採りに行こうと誘われました。覚えているのは、千村からトンネルを抜けて、かなり歩いたところに沢があり、その水際で採ったということでした。白い吸い付くようなきめの細かい粘土の中にオーテッコーはありました。記憶では5mmぐらいのものが一粒とあとは砂のように小さな粒が20ぐらい採れたんだと思います。とにかく、その白い粘土がえらく冷たかったのを覚えています。真冬の水遊びですからね。
 オーテッコーが黄鉄鉱のことだと分かったのは、ずっと後のことでした。その友人とも音信不通になり、ただ鉱物を採取したという稀な経験が何度となく思い起こされたのでした。「あれはいったい何処だったのだろう?」という疑問と、渋沢、千村、トンネル、というポイントを総合していくと、「あれは「峠」集落のあたりだよな?」というおぼろげな結論が出ていました。
 篠窪山周辺のことをホームページにUPしたのを期に、何気なく「峠」「黄鉄鉱」でググってみました。するとかなりの数がヒットするではないですか。そんなわけで行ってきました。
 石膏の鉱山跡付近から黄鉄鉱が出ます。
峠のバス停を南下し、この道を進みます。
造園屋の資材置場脇をさらに進んだ沢沿いにあります。
峠の鉱山跡

 峠の鉱山は、太平洋戦争前後の昭和十年(1935年)から十数年間石膏の採掘を中心に操業し、最盛期には約二十人の従業員がおり、農作業のない時には地元の人たちも働きに出て、年間二千トンもの石膏を採掘していました。
 産出した石膏は、人形やセメントの材料、歯科医の歯型などに使われていました。また、産出する石膏の周りには粘土層があり、西秦野小学校の図工の時間にこの粘度を使ったこともあったようです。
 坑道の入り口は主に市見川の右岸にあり、抗口の周りには、事務所や採掘の際に岩盤や石膏脈を崩壊するために使用したダイナマイトの貯蔵庫もありました。坑道は、斜抗・水平抗・竪抗があり、深さ約七十mもあった竪抗では搬出にウインチを利用していました。
 採掘した石膏は、坑内からトロッコと牛車で真静院の前にあった貯鉱場まで運び、そこからトラックで御殿場線の松田駅まで運搬しました。
 時期は、はっきりしていませんが、産出される石膏が少なくなり採算がとれなくなったことや、台風で市見川の水が坑道に流れ込み、復旧が困難になったことなどが原因で昭和二十年代半ばに閉山したといわれています。

秦野市教育委員会
白い粘土層の中に黄鉄鉱が含まれています。
子供にとっては宝物なので、文句も言わず、2時間ぐらい採掘に没頭していました。 5mm位の粒も採れました。シャベルとバケツ、ザルは必携です。虫除けスプレーも
 長年、もやもやとしていたものがとれたような気になりました。
 子供のときは素手で冷たい粘土の中から探したのと、要領が悪かったのでしょうか。それに比べると、今回はかなりの量をGETできました。
 黄鉄鉱;FeS2 金属としての価値はないみたいです。試しに磁石を近づけてみましたが、くっつきませんでした。
 金銭的価値はなくとも、大人でも十分たのしめます。一度訪れてみてはいかがでしょうか?

 
地図は敢えて載せませんが、その代わりに座標を...
 北緯35分21分04.8秒
 東経139度10分36.3秒付近(世界測地系 WGS84)
くれぐれもゴミは持ち帰りましょう。

大半は砂粒サイズです。
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